Texts
リアルユートピア〜無限の物語
展覧会カタログ、pp.8-9、2006年、金沢21世紀美術館、ISBN 4-903205-06-1
村田大輔、金沢21世紀美術館学芸員
木村太陽の作品の多くは、日常的にどこにでもあるもの-1リットル牛乳パック、黒いゴミ袋、藤の洗濯かごなど、この国で生活すれば誰しも必ず目にするものを用いている。さらには、調味料、菓子、カレー、トマト缶、肉といったように、日常的に人間に消費され、排泄されている食料さえも作品に取り込んでいる。例えば、《Video as Drawing》では、カレーで洗顔をする模様が繰り返し映し出され、《日本人について》では、マヨネーズ、ケチャプ、ソースといったものが混ざり合っていく様が目の前に広がり、鑑賞者は一種の嫌悪感、嘔吐感を覚えるのを否定できないだろう。この身体的嫌悪や違和感は、例えば、《Friction/トイレはどこですか》が放つ時計の針が重なり触れ合う音や、《ブラックホール》が放出する、一度に多数のイヤホンから流れる異なるラジオ局の音などを耳にするときに感じる不快感と同種のものである。
これらの作品を通して感じられる身体的な違和感や不快感は、現代社会のなかで自らの身体を制度化し、家畜化する人間についての考察へつながり、さらには個人と群衆の複雑な関係性をも示唆している。《We know you know we know your pleasure you never know》は、一体一体木村の手によって作られた約600体のハトが展示室全体に並べられ、そのハトの上を鑑賞者は、フレームが組まれ底板のみ取り付けられた箱や、その上に傘が置かれた箱を滑らせるという作品である.床に並べられたハトの頭部がキャスターであることから、この箱は押される力に合わせてハトの集団の上を滑っていく。時に鑑賞者は、箱を手元に引き寄せるために、床に並ぶハトをかき分けなければならない。頭部がキャスターで、ボディが薄暗いグレーで塗られたハトの上に箱を転がすという行為自体不気味であるが、誰もが必要としながら忘れ、時に置き去りにし、捨てられる存在である傘や、その下の床に不規則に並ぷハト、鑑賞者という人間など、これらの多様な要素は、個人と群衆との関係、そして、人間の意識や無意識について物語る。
木村は自身の身体的な違和感や不気味さ、日常的に感じる非日常的な経験を自分のドローイング帳にもとどめている。例えば、自分のズボンのポケットがドアノブに引っかかってしまった体験などを記録しているのである。同時に、自分の空想やふとした想像を措き綴っている。このドローイング帳に綴られる世界や木村の作品は、どんなにささいで、小さな経験や感覚でも、そこに別の世界、人間の本当の姿、さらには、もうひとつの本当の現実があるかもしれないということを静かに語りかける。そして、木村は、自身の体験や空想を措きとどめ、制作することで人間の本質や現実感を確認している。